「闇の中であろうとも」  05.02.13
                  ルカ22:47〜53

 闇が力を振るっているとしか思えないような場面に、イエスさまが
おられます。しっかりとそこに立ち、人と向き合って、言葉を向けて
おられます。闇の支配しているところにも、イエスさまの言葉は
響きます。
 闇に支配されている三種類の人々がいます。
 まず裏切り者のユダです。「ユダという者」との表現は、光である
イエスさまの下にいないことを強調した、他人行儀な言い方です。
 次に、弟子たちです。「周りにいた人々」と表現するのも、イエスさま
から離れて、関係のない人になっていることの表現でしょう。
 そして、イエスさまを抹殺しようとする指導者たちの一群です。

 闇に支配されている人は、イエスさまを裏切り、引き渡そうとします。
 そうやって、イエスさまを自分の前からよそに追いやろうとします。
 また、愛と信頼の印である接吻によって裏切る者の姿には、愛する
ことに破れを抱える人間の闇の深さがあります。闇の支配にある者は、
剣を持って相手に切りかかりました。愛よりも剣(暴力)が必要だと考え、
愛の力を見くびっているからです。また、恐れに囚われて、冷静さを失い、
剣を振り回すのです。「まるで強盗に向かうように…」といわれている
人々は、イエスさまが強盗でないことを知っています。 
 しかし、「相手は強盗だ!」と思い込むことで、抹殺しようとしている
自分たちを正当化するのです。
 いずれも、私たちと無縁の姿ではありません。

 闇に支配された人々の前に、イエスさまは身を置かれます。
 そして「ユダという者」に、はっきりと「ユダ」と呼びかけ、その破れ果てた
接吻を受け止めていかれるのです。「おまえなんか知らない」と、突き飛ばす
のではありませんでした。闇の中にいる者を迎え入れようとする心が一杯
詰まった言葉です。冷静さを失っている者に「もうよい」とおっしゃるのは、
励ましの言葉です。

 
イエスさまは、闇の支配にあることを指摘して、人を追い払うのではなく、
迎え入れようとされます。
 それが、罪を赦す十字架の主イエスです。